プロフィール(詳細)
こちらのページでは、私の経歴やこれまでの背景についてご紹介しています。
お時間がある方は、ぜひ目を通していただければ幸いです。
学生時代
高校まではひたすら野球の日々
生まれは兵庫県(姫路市)ですが、すぐに大阪に引っ越したので、学生時代は大阪で過ごしました。
子供の頃の私は、小学校から高校まで12年間ずっと野球をしていました。
小学生の頃から平日は学校終わりに野球をして遊び、休日はクラブチームでの練習や試合。
中学・高校でも野球部に入り、毎日野球漬けのスポーツマンでした。
ですので、高校までの思い出はほとんど野球関係です。(しかも大半がつらい練習の思い出です。笑)
大学でハマった「読書と一人旅」
高校で肩を痛めたこともあり、
大学では部活やサークルには入らず、ひたすら「読書と一人旅」をしていました。
読書にハマったきっかけはあるネットの記事でした。
アメリカの大学生は4年間で400冊もの本を読む。
特にエリート大学の学生は4年で1000冊以上の本を読む。
しかし、日本の学生は4年で100冊しか読まない。
という記事を見て、これじゃ日本は海外に勝てないという危機感を抱き、本を読み始めました。
特にグローバル企業で働きたいということはなかったのですが、なぜか危機感を抱いていました。笑
実際に読んだのは300冊くらいでした。
冊数はあくまで数字でしかありませんし、ジャンルもさまざまで内容もほとんど覚えていないのですが、
ものの見方や考え方はかなり柔軟になったような気がします。
一人旅に関しては、浪人時代の講師に
「大学生になったら海外に行ってください。できれば一人で。必ずいい経験になるから」
という言葉がきっかけでひとり旅に興味を持ちました。
春休みや夏休みになれば、1ヶ月ほど使って海外にふらっと出かける、いわゆるバックパッカーをしていました。
大学では開発経済学を学んでいたということもあり、
東南アジア・インド・南米・モンゴルなど15カ国ほど旅してきました。
一人旅で身についた「自責思考」
壮大な景色や世界遺産を見に行ったり、現地の人と仲良くなったり、
ときには騙されたり、バスに置いていかれたり…。
海外での強烈な経験を通じて、私の価値観がガラッと変わりました。
よほどのことじゃないと驚かなくなりましたし、
大変なことがあっても「最終的にはなんとかできる」という自信や、超がつくほどのポジティブ思考が身につきました。
中でも一番の変化は、「自責思考」が身についたことです。
ひとり旅だからこそ、今日一日何をするにしても自由。
逆に言えば、何をするかは自分で決める必要があります。
そして、その決断に対して、責任をとるのは自分しかいないということ。
一日中寝ててもいいし、観光地に行ってもいい、昼間からお酒を飲んでもいい。
でも、一日中寝ることで後悔したり、観光地が工事中だったり、そもそも開いてなかったり。
お酒を飲んで酔っ払ってしまい、物を盗まれたり…。
これらは自分の決断が招いたことであり、人のせいではありません。
そもそも、自分しかいないので人のせいにできないですし。
(盗難に関しては当然盗む人が悪いですが、ちゃんと警戒していれば盗まれなかったかもしれません)
これらの経験から、身の回りで起きる出来事には、多かれ少なかれ自分に原因があるという「自責思考」で考えられるようになったので、人間的に大きく成長できたと思います。
ホリエモンの本をきっかけに始めた「ヒッチハイク」
海外だけでなく日本でも一人旅をしていて、日本ではヒッチハイクも経験しました。
ホリエモンの「ゼロ」という本に、
「人生で大切なことはヒッチハイクで学んだ」と書いてあるのを読んで、
どんなものかということでヒッチハイクをしました。
ホリエモンの主張は、
「面白そうなことや人がおすすめしているものはとりあえずやってみる」という
「ノリの良さ」がゆくゆく「チャンスを掴む力」になる。
そして、小さな成功体験を積み重ねることで自分の中に自信が生まれる。
というものでした。
ヒッチハイクの話を読んで、ノリの良さが大事と言われたら、やるしかないですよね。笑
兵庫⇄福岡、大阪⇄鹿児島(屋久島)と2回敢行しました。
(ちなみに、ホリエモンは北海道以外の都道府県をほとんど行ったとのこと…!)
ボードの書き方もだんだん慣れてきてますね。笑
海外で騙された直後に日本でヒッチハイクをしたので、日本の暖かさや治安の良さを実感しながら旅していました。
ヒッチハイクを通じて
「いかに自分が周りの人に助けてもらって生きているのか」
ということを感じました。
そしてゼロに書いてあった通り、
「車に載せてもらう」という僕にとっては「大きな成功体験」をガンガン積み上げることで
自分に自信を持てるようになりました。
苦労した就職活動
楽しい大学時代だったのですが、唯一大変だったのは就職活動です。
バブルに次ぐ売り手市場と言われていたので、周りはどんどん内定をもらっている中、
僕はなかなか内定をもらうことができずに苦戦していました。
どうすればいいのかわからなかったので、
とりあえず誰かにアドバイスをもらおうと、ネットでいろいろ探していました。
ネットで見つけた就活相談所(居酒屋)
すると、京都の「猿基地」というお店があり、
就活生の相談に乗っているという記事を見たので、藁にもすがる思いで実際に行ってみました。
当時もこちらの記事を読んでいたと思います。
店長に就活の話を相談すると、
キミはそもそも会話ができていないから、会話の練習をするためにいろんな人(特に年上の人)と話しなさい
とりあえず一人でバーか居酒屋に行っていろんな人からお酒を奢ってもらいなさい。
10杯くらい奢ってもらえたら内定出るよ
と言われました。
最初は何言ってんだこいつと思っていたのですが、
人との会話には苦手意識があり、特に年上の人となると緊張してしまうので、ずばり見抜かれた感覚でした。
そこから近所のバーに一人で行って、
「就活がうまく行っていない、人と話す練習がしたいからバーに来ました」
と説明してお酒を飲んでいました。
面接終わりにリクルートスーツでバーに行っていたので、
マスターやお客さんに面白がってもらって、いろんな人と話をすることができました。
当時、通っていたバーには今でもお世話になっているお店もあります。
このバー巡りで鍛えられて、気がつけば内定をいただくことができていました。
余談:就活で学んだ会話のルール
猿基地の店長曰く、「会話ができていないのは、会話のルールがわかっていないから」とのこと。
一人でバーに行く時はこの4つのルールを守りなさいと言われました。
- 質問されたらなんでもいいから2秒以内に返事をする
- できれば、6文字以上で返事をする
- 話の終わりを作って相手にパスをする
- 「でも、だって」などの逆説は使わない
ちなみに、私は最初全部できませんでした。笑
質問されても黙ってしまうし、
2秒以内に返事をしても「そうですね…」の6文字に到達しない。
6文字以上話そうとするとずっと自分が話してしまうし、
相手にパスしてもその返事に「でも…」と言ってしまう。
まさに0点でした。笑
ですが、これらを意識しながら話をすると、最初はぎこちないですが、今までとは違う会話ができるようになってきます。
一気に全部直すのは難しいですが、頭に入れておくだけでも会話が上達します。
会話が苦手な人はぜひ意識してみてください!
新卒時代は営業を担当
苦労して獲得した内定は、IT系のベンチャー企業でした。
そこでは、自社サービスを企業に対して販売する法人営業を担当していました。
営業を選んだ理由は、社会人としての基礎力が身につきそうだと考えたからです。
仕事内容は営業活動全般で、
リストの獲得からテレアポ・訪問活動・提案・契約までしていました。
飛び込み営業はなかったものの、初めてテレアポしたときは手が震えていたのを今でも覚えています。笑
その他にも展示会に出展したり、自社セミナーを開催したりもしていました。
一連の営業活動を通じて、「モノを売るための考え方」や「数字に対する意識」を学びました。
特に印象的だったのは「ドリルを売るなら穴を売れ」という言葉。
お客さんは「ドリル」という商品ではなく、ドリルを使って作る「穴」がほしいということを理解しなさい。
つまり、その商品自体の大きさや重さ・価格などの「機能的価値」ではなく、商品を使って得られるメリットである「利用的価値」を伝えることを意識しろ。
その商品を使って「で、どうなるの?」が伝わらないと商品は売れない。
実践に落とし込むのはなかなか難しいことでしたが、営業としての考え方を叩き込んでもらいました。
(同じタイトルの本があるというのは後から知りました。笑)
その他にも
「雨が降っても自分の責任」
「量が質を凌駕する」
「守・破・離」
「インプット、即アウトプット」
「止まない雨はない」
など、営業だけでなく仕事をする上で大切なことも教えていただきました。
転職を機にプログラミングの道へ
2年ほど経過した頃、だんだん数字に追われる営業がつらくなってきたので、
他に何かできることがないかと転職活動を始めました。
転職エージェントを活用していたのですが、紹介されるのはやはり営業職が大半でした。
営業職であれば、今までの経験を生かせるし、案件数も多いので、紹介する方としては営業職が多くなるのでしょう。
転職エージェントの一言が世界が変わった
そんな中、一人だけ
「IT企業にいたのであれば、エンジニアやプログラミングに興味はないですか?」
と言ってくれたエージェントがいました。
この一言で私の人生は変わりました。
私は直感で「これだ!」と感じたので、そこからプログラミング学習を開始。
今思えば、営業に疲れた理由は、数字に追われていたことに加えて、
「他人が作った商品・サービスを売ることに面白みを感じなかったから」だったのかなと。
「どうせなら自分が作ったサービスを売ってみたい」と心のどこかで考えていたのかもしれません。
営業に対するモヤモヤを抱えた中で聞いたエージェントの一言は、
「他人が作ったものを売るのが嫌なら、エンジニアとして自分でサービス作っちゃえば?」
と言われたような気がしました。
「文系卒やし器用でもないから、ものづくりなんて縁のない世界でしょ…」
と自分で勝手に決めつけていたので、まさに青天の霹靂でした。
その日から日中は仕事、出勤前や帰宅後・休日はプログラミング学習という日々が続きました。
半年ほど学習を進めて、ポートフォリオもできたので、転職活動を開始しました。
以下は、当時のポートフォリオサイトです。
未経験ということもあり、転職活動は苦戦しましたが、なんとか就職先が決まりました。
ここで職場が神戸に変わったので、神戸に引越すことになります。
半年で2度の退社
せっかく転職できたのですが、すぐに退職することになります。
ごりごりコードを書けるのかなと思っていたのですが、
電話でのお客様対応だったり、サーバーの管理だったり。
いままで学習してきたことを生かせる仕事内容ではありませんでした。
「未経験の奴が最初からコードがかける環境なんてない!」と言われてしまうかもしれません。
しかし、私より1年先に同じ志望動機で中途入社した人が、
いまだにお客様対応をしている姿を見て、
「ということは、私も少なくとも1年はコード書けないんだろうな…」
と判断し転職を決断しました。
面接の段階で、しっかり確認できていなかった自分が悪いですね。
せっかく転職できたのに、3ヶ月ほどでまた転職活動を再開。
次の職場はすぐに転職は決まったものの、
2社目と同様、仕事内容が思っていたものと違ったので、ここも数ヶ月で退職しました。
結果として、半年で2社することになりました。
フリーランスとして独立
短い期間で2度も退職したので、次の転職活動は苦労することが目に見えていました。
当時、よく相談させていただいていたフリーランスエンジニアの方がいるのですが、
その方から
「一回、フリーランスとして活動してみるのはアリじゃないですか?」
と言っていただきました。
正直、スキルも実績もほぼない状態からフリーランスとして活動するのはとても不安でした。
理想としては、企業で数年働いて、スキルを磨いてからフリーランスになりたいと思っていたので。
ですが、次の転職活動が現実的でないことと「僕も可能な限りサポートしますよ」と言っていただいたということもあり、
その日からフリーランスとして活動することとなりました。
フリーランスとして活動し始めた頃は、スキルはもちろん、人の繋がりもほとんどなかったので、かなり大変でした。
どちらかというとシステム開発よりのプログラミングを勉強していたので、
Web制作に関する知識は抜けている部分が多々ありました。
なので、当時のポートフォリオはサーバーではなく、Herokuでアップしていましたし、
PhotoshopやIllustratorも案件を通じて使い方を学びました。
以下が当時のポートフォリオサイトです。
https://portfolio–001.herokuapp.com/
とりあえず数をこなすことが大事だと考え、
時間があればサイトの写経(既存サイトをそのまま再現すること)やオリジナルサイトを作成して、
ポートフォリオに掲載していました。
そこから案件ベースで制作したサイトができれば、その都度追加していました。
上記のフリーランスエンジニアの方の紹介やSNS経由で、
仕事をもらっては納品、仕事をもらっては納品、
とどんどん仕事をこなしていきました。
実績が増えるにつれ、周りからのご紹介が増えてきて、なんとかWeb制作で生活できるようになりました。
お客様はもちろん、周りの方々に支えていただいたおかげで、現在までWeb制作を続けることができています。
「五嶋さんだからお願いしたい」と言ってもらえるように
サイト制作をしていると、
「すでにWordPressのサイトはあるけど、更新方法がわからない」
「修正したい部分があるけど、制作会社に頼むほどではないので自分で対応したい」
「まずは自分でサイトを作ってみたい」
など、WordPressの操作や更新方法に関するご相談をいただくことが増えてきました。
そこで、初心者向けにWordPressの使い方をお伝えする「WordPressセミナー」を始めました。
「WordPressをもう少し深いところまで学びたい」
「これから副業としてWeb制作をやってみたい」
という声もありましたので、副業としてのWeb制作ができるように支援することも開始しました。
「仕事を通じて学んだサイト制作のスキル」や「フリーランスとしての仕事法」もお伝えして、
副業や独立の後押しもさせていただいております。
私にとって、サイト制作はお客様の課題を解決する手段のひとつです。
サイトの使い方がわからない人に対してはサイトを作るよりセミナーで使い方をレクチャーする方が適しています。
副業でWeb制作をしたい人に対してはWeb制作の学習をサポートする方が合っています。
フリーランスだからこそ、自分で枠組みを作らず、お客様の課題に対して柔軟に対応していきたいと考えています。
今後も
「フリーランスだからこそ効く柔軟性」
「営業時代に磨いたコミュニケーション力」
「持ち前のフットワークの軽さ」
でこれからも皆様の課題解決にお役立ちできればと思っています。
そして、
「五嶋さんだからお願いしたい」
と言っていただけるよう日々精進していきます。
長々と書いてきましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。